「・・・・・・なんだか哀しい話だな」
 思わず言葉を漏らしたクラウドに、エアリスは相変わらず満月を見上げながら呟いた。

 「・・・・・・初めてこのお話を聞いた時ね、わたし、娘の気持ちがちっとも分からなかった。
 空にある月に恋するなんて・・・。 命を賭けてまで叶わない想いを抱きつづけるなんて、信じられなかった。 それで良かったの?娘はそれで、本当に幸せになれたの?って、ずーっと思ってて」
 本当は、このお話、あんまり好きじゃなかったんだ。
 そよいできた気まぐれな夜風が、エアリスの長い髪をなびかせる。
 亜麻色の帳に遮られ・・・エアリスの表情が、見えない。

 「・・・・・・でも、今は解るような気がするの。 想いを貫き通した娘の気持ちが。だって、こんなに綺麗な月なんだもの。 娘の気持ち、解るような気がする・・・・・・」

 全てを包み込むような、優しい月の光。 
 その反面、見た者を魅了してしまうような、不思議な妖気を秘めた月の光。
 エアリスの碧の瞳に、どこかしら似ている。
 月には魔力が宿ると言う。
 あながち、それは嘘ではないのかもしれない。
 そうだな。と相槌をうち、エアリスの方へ瞳を向けた瞬間。
 クラウドの表情が、凍りついた。
 エアリスは微笑んでいる。 
 無邪気な、でも。綺麗な、でも。慈愛に満ちた、でもない。
 言うならば、透明な。透き通るような。そんな、静かな微笑みで。
 初めて見る表情に、クラウドの胸がじわじわと圧迫される。
 ―――ここにいるエアリスは、自分の知らないエアリス。
 月の光を纏い、遥か彼方へ想いを馳せる彼女の姿は、とても美しく。
 言いようの無い不安をクラウドに感じさせた。
 彼女は、ここにいる。
 しかし。
 何故か、彼女が月に消えてしまいそうな気がした。
 月に映えるエアリスの姿が、あまりにも切なくて、儚くて。
 お伽噺の娘のように、月が彼女を連れて行ってしまいそうな気がした。

 ―――馬鹿げてる

 努めて一笑しようとする。そんなことあるわけないじゃないか。
 エアリスは『ここ』にいるんだ。
 しかし、一度芽生えた不安は、拭い去る事が出来ない。
 それどころか、彼の心の中で否応無しに膨らんでいった。
 思いきり抱きしめればいい。彼女がどこにも行かないように、強く抱きしめればいい。
 気恥ずかしいが、嫌でも確かめられる。彼女がここにいる、と。
 きっとエアリスも・・・いつもの笑顔で笑ってくれるだろう。
 だが、・・・・・・出来ない。
 触れたら、彼女が消えてしまいそうで。壊れてしまいそうで。
 手を差し伸べて、触れようとした瞬間に、もし、彼女を失ってしまったら・・・・・・
 それが、何よりも怖いから。
 何も出来ないことを歯痒く思いながら不安な心を抱いたまま、クラウドはただただ、エアリスの横顔を見詰めた。
 見詰める事しか出来なかった。

 「でもね」
 エアリスは月から瞳を放し、自分を見詰め続けるクラウドの瞳を覗きこんだ。

 陽炎のように揺らめきながら煌く蒼い瞳。
 不思議な輝きを秘める魔晄の瞳。

 エアリスはクラウドの蒼い瞳をまっすぐ見詰めながら微かに微笑むと、
 ゆっくりクラウドの肩に頭を持たせ掛けた。

 「わたしは、『ここ』にいるから」
 「・・・・・・・・・」
 「大丈夫。わたしの居場所は、『ここ』だから・・・・・・」
 「・・・・・・エアリス」
 「・・・・・・ずっと、傍に居るから・・・・・・」

 温かい感触と甘い香りがクラウドの心を包み込む。
 その温もりに触れ、反射的に込み上げるものを堪えようと、クラウドは静かに瞳を閉ざした。
 下らない想像をして、恐れていた自分。
 自ら暗闇に閉じこっていた自分。
 今度こそ、本気で笑い飛ばしてやりたくなった。
 何を不安に思っていたのだろう。
 エアリスが居なくなるかもしれない? 
 もし、そうだとしたら。・・・・・・もし、そうだとしても。

 「・・・・・・クラウド・・・?」

 クラウドはエアリスを抱きしめた。
 壊れやすい硝子細工を扱うように、触れると溶けてしまう淡雪を抱きしめるように、優しく。
 ゆっくりと両腕を背に回し、か細いが柔らかいエアリスの身体を包み込む。
 そして小さく、しかし、はっきりと呟いた。

 「・・・・・・『ここ』にいろよ?」

 ・・・・・・俺が離さなければいい。
 彼女を掴まえておけばいい。       
 どこにも、誰にも奪われないように。

 クラウドの腕の中で、しばらく瞳を瞬かせていたエアリスだったが、徐々にその表情が柔らかくなる。
 瞳を閉じ、幸せそうに微笑みながら、

 「・・・・・・うん」
 小さく頷いた。

 エアリスに応えるように、クラウドはエアリスを抱く力を強くする。
 二つの胸の鼓動が高鳴って、次第に一つのリズムを奏でていく。
 抱擁し合う二人の姿は、月の蒼白い光の下で、淡く淡く輝き出す。
 とどめられない刻の中、永遠を願うのは・・・お互いを感じるこの瞬間だからこそ。
 やがてゆっくりとクラウドの背に手を回しながら、エアリスはクスリと笑った。

 「なんだか、不思議・・・・・・」

 腕に込められた力を緩め、クラウドは少し怪訝そうにエアリスを見た。
 そんなクラウドの表情を見て、エアリスの笑顔が悪戯っぽいものに変わる。

 「月の魔法だね、きっと」

 クラウドとエアリスは、お互いの顔を見、声を立てて笑い合う。
 現実の輪郭は朧になり、目に見えないものが浮かび上がる、そんな月の幻想世界。
 全てが酷く曖昧で、ハッキリしたものはないけれど。
 月の魔法にかけられるのも、たまには・・・そう。悪くない。
 再びエアリスの身体を抱き寄せて、クラウドは優しく呟いた。   

 「そうだな」

 月の綺麗なこの夜は
 遠い記憶が蘇る
 セピアの色に綴られた
 お伽噺を思い出す

 月の光に照らされて
 淡く輝く微笑みは
 触れると消えてしまいそうで
 不安な心が締めつける

 月の綺麗なこの夜には
 蒼い魔法がかけられる
 心の鎖を解き放つ
 蒼い魔法がかけられる

 月の綺麗なこの夜は
 あなたの瞳で包んでいて
 強くわたしを抱きしめて
 深い夜空に吸い込まれないように





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あとがき