何も求めず、執着せず

それで良かった筈だった



それで良かった筈だったんだ



     作 まよ


 開け放たれた窓からは、初夏の微風が絶えず吹き込み、薄いカーテンを揺らしている。
 蜻蛉の羽を思わせるその薄布は、風に煽られ大きく膨らみ…そして、前触れも無く、小さくしぼむ。
 そんな絶え間無いカーテンの動きに、俺は当たり前の事に気付かされる。
 ―――時間の流れは止まらない。
 だが、…ここには、例外がある。
 時間の流れが止まってしまったものもあるんだ。
 清廉な白で統一された部屋―バラムガーデンの保健室で、俺はただじっと、ベッドに向かって座り込んでいた。
 ベッドの上にいるのは、青い服を着た、黒髪の女子。
 部屋に広がる微風はさわさわと、俺とベッドの上に横たわる彼女の間を吹き抜ける。
 その風に、彼女の長い黒髪が、はらりと揺れた。
 きっといつもの彼女なら、靡く髪を手で軽く抑え、そしてこの風みたいに爽やかな笑顔で微笑みかけてくれるだろう。
 
 
 「スコール」
 
 
 
 …だが、そんな声は聞こえない。

 魔女イデアとその騎士、サイファーと戦った後、魔女イデア―――まま先生に掛けられていた呪縛は解き放たれた。
 …覚悟はしていた。まま先生をこの手で殺めてしまうかもしれない、と。
 逆に、まま先生の手で消されてしまうかもしれない、…それは皆、承知した上の戦いだった。
 だが、魔女イデアは消え、まま先生は助かった。
 あの頃と同じ優しい声で、まま先生は俺達に再び語りかけてくれた。
 俺達は、俺達の思い出と大切なものを、取り戻す事が出来た。
 勝ったんだ、俺達は。

 しかし、その代わりに。

 リノアが、動かなくなった。

 最初の内は、眠っているだけかと思った。
 だが、リノアはいくら声をかけても、反応しなかった。
 呼吸も正常だ、心拍数も問題無い。
 しかし、意識が戻らない。
 あの時、まま先生から抜け出した悪しき魔女の力。
 それをまともに受けてしまった為、一時的に意識を失っているだけだ、医者は始め、こう言っていた。
 けれど、リノアは何時まで経っても目覚めなかった。
 
 リノアが眠っている保健室に、毎日のようにみんなが通った。
 大丈夫。きっと明日には意識が戻るよ。 そんな事を口々に言いながら、…だが、日を追う毎に、みんなの表情が変わっていくんだ。
 「大丈夫」、と言うその顔が、苦渋の色に満ちている。
 「きっと明日には」、と言うその顔が、抑えきれない哀しみに染まっている。
 …口先だけだ。
 みんな、徐々に諦めかけている。
 
 
 あれは、昨日か? いや、一昨日の事だったか?
 …時間の感覚すら無くなっている。
 とにかく、この前医者にリノアを診て貰った時だ。
 微かな呼吸をする以外、微動だしないリノアの姿に、医者は無言のまま首を横に振った。

 ―――何だよ、それ。
 ―――どういう事だよ。

 『絶望』。

 その時仲間達の顔に、無意識に避けていたであろうこの二文字が表れた。
 とても、はっきりと。

 しかし、俺は信じない。

 あのリノアが。
 煩くて、自分勝手で、無鉄砲なリノアが。
 これからずっと、大人しく眠り続けていられる訳ないだろう?
 それに、俺はリノアと約束してたんだ。
 …魔女イデアとの戦いが終わったら、俺の事を、俺の考えている事を、話してやるって。
 あんた、凄く聞きたがってただろ?
 いつも言ってたよな。
 「言葉に出してくれないと、解らない」ってさ。
 なぁ、魔女との戦いは終わったんだ。
 だから、話してやるよ、俺の事。
  …自分の事を話すのは好きじゃない。けれど仕方無い。…約束だったからな。

 起きろよ、リノア………

  (……え…ちゃん……)

 いくらこうして傍に居ても、この耳には、リノアの声が届かない。
 俺にも、みんなにも、リノアは話し掛けてくれない。
 …時は、移ろい易い。
 みんなはすぐに、起こった事を過去の物にして処理してしまう。
 ……リノアも、過去にされるのか…?
 違う。俺と、みんなと同じ『今』だ。リノアは今もちゃんとここにいる。
 今は、ちょっと休んでいるだけだ。あんた、いつもペラペラ喋っていたからな。
 俺には解る。リノアは、『過去』じゃない。
 それに、…俺の頭の中では、あんたの声が今でも鮮明に響いている。
 だから、時々解らなくなる。今、ここで眠っているのは本当にあんたなのか。
 
 
 苦々しく思っていただけの声だった。
 ……なのに、リノアの声が、蘇るんだ。

 あんたと初めて会ったのは、…確か、SeeD就任パーティーだったな。

 ああいったパーティー独特の喧騒は、苦手なんだ。
 だから、独り壁際に佇んでいた。
 早く終わってくれないか、と鬱屈した想いで空を見上げると。
 流れる星を、偶然見つけた。
 そして、ふと、気付く。
 同じように流れ星を見ていた一人の女子に。
 白いワンピースを着た、外部からのゲスト。
 …そんな彼女と目が合って……、星を指差し、ニコリと彼女が笑った。
 気安い笑顔を浮かべたまま。
 軽やかな足取りで、真っ直ぐに、彼女が俺の元へ近付いて来る…・・・

 ―――「君が一番カッコいいね!」

 …だから何だって言うんだ?

 ―――「やった〜!SeeDが来てくれた〜!

 …あんたかよ…

 ―――「カッコわるぅ〜、命令に従う?それが仕事?」

 ああ、そうだ。それが俺の仕事、SeeDだ。何とでも言え。
 だが、お遊びでレジスタンス活動をしているあんた達にとやかく言われる筋合いは無い。

 ―――「…やさしくない。やさしくない!!」

 励ましの言葉でも言えばいいっていうのか?そんなの所詮は気休めだ。
 それとも、クライアントのご機嫌取りも、仕事なのか?
 あんたは俺に何を求めているんだ?やめてくれ。

 ―――「素晴らしいリーダーね。いつも冷静な判断で仲間の希望を否定して楽しい?」

 別になりたくてなったリーダーじゃないさ。
 何故いちいち俺に関わってくる?SeeDでもない、ただのクライアントのあんたが。

 ―――「だめだったの、一人じゃだめだったの。わたし、一人じゃ戦えなかったの」

 だからあんたのやってる事はお遊びだって言うんだ。
 あんたには他人と戦う覚悟が、血を流す覚悟が無いんだ。
 …あんたはレジスタンス活動なんて出来る人間じゃないんだよ。 いつも能天気に笑っているのがお似合いなお嬢様さ。

 ―――「ミサイル基地でわたし、もう死んじゃうって思った。 そう思ったら、一番会いたかった」

 ……俺にか?…何でだよ?

 ―――「どうして?どうしてそういう言い方するの? 怒ってるの?ちょっと誤解があっただけだよね?」

  悪かったな。

 ―――「悪いってなんか思ってない癖に!もう話は終わりってことでしょ、それ。 どうしてこうなっちゃうのかな。どうしてなのかな!」

 そうだったよな。
 あんたがどんなに俺に話し掛けてきても、必ず最後は喧嘩別れだ。
 なのに、あんたは。
 あんたはいつも、俺に話掛けてきたな。何度も何度も、懲りずに。
 解っていたさ。あんたは俺に好意を抱いている。
 何故俺になのかは、さっぱり解らないが。
 呆れる位ストレートに、あんたは自分の感情を押し付けて来た。
 いくら俺が他人の事を視野に入れまいとしていても、あんたは俺に全身で叫んでいるんだ。

 『わたしを見て!わたしに見せて!あなたの事が、もっともっと知りたいの!』

 …正直、うざったかった。

 周りの奴等も、俺がリノアとくっつく事を望んでいる素振りで、余計に頭が痛かった。
 『関わるな』。 俺が無意識に張っているオーラに、普通の奴等ならその通り、避けていってくれるのに。
 そんなものなど物ともせず、リノアは他人のペースにズカズカ遠慮無く踏み込んでくる。
 俺のペースを乱して、崩そうとする。
 …頼むから、放っておいてくれ……
 人は、独りなんだ。最終的に頼れるのは、自分自身。それしか無い。
 他人を信じて、それでどうする? 他人がずっと自分と一緒に居てくれると思うのか?
 それで、裏切られたらどうするんだ?
 …信じた者に裏切られる事、捨てられる事、…あんたは知らないだろう?
 他人と解り合えなくてもいいさ。俺は独りで生きていける。
 あんたはあんたで、俺は俺。
 ……それでいいじゃないか。

 ―――「わたし、戦うから」
 
 
 ―――「戦わなくちゃ、あなたに認めてもらえないなら……戦う」

 レジスタンスに居ながらも、戦う事を回避しようとしていたリノア。
 誰も血を流さずに、解決出来る方法はないのか、そんな夢物語を求めていたリノア。
 だが、そんな彼女が、戦うと言った。
 俺に認めてもらう為に。
 そう言ったあんたの足は、やはり少し震えていた。
 頬の筋肉がつるんじゃないかと思う位、無意味に笑顔を絶やさないその顔を、硬く硬く強張らせて。
 …何故だ?
 何故、俺の為に自分を変えようとする?
 自分の限界を、超えてみせようとする?
 どうして、邪険にあしらい続けている俺に、何時でも真っ直ぐぶつかって来れるんだ?
 みんなは言っていた。「リノアが好きだ。リノアは仲間だ。リノアの喜ぶ顔が見たい」と。
 …あんたはその解り易い一本気で、みんなの心を捕えたんだな。
 でも、俺はあんたの事なんて、これっぽっちも想っちゃいない。
 あんたがどんなに頑張っても、決して……。

 ―――「スコール、助けてくれてありがとう!」

 単純に、とても嬉しそうにリノアは喜んでいた。
 頬を染めて、黒い瞳を潤ませて。
 けど、そういう事じゃない。誤解するな。…俺は、あんたの事なんて、想っちゃいない。

 ―――「聞きたい。スコールが考えてること、知りたいもの」

 こんな事態だと言うのに、見当違いに俺の事ばかり気に掛けているリノア。
 生きるか死ぬか、その瀬戸際に居るにも関わらず、輝いた目で俺を知りたいを言った。
 ああ、聞かせてやるさ。…ただし、お互い生き残れたら。
 生き残れる? …俺はこんな所で死ぬ気は無い。
 だから、聞きたかったら、あんたも生き残るんだ。
 あんたも死にたくは無いだろう?あんたの事だから、それだけは絶対嫌だと言うだろうな。
 そうだよな?

 ―――「行くぞ、スコール!」
 
 
 だから、俺達は生き残るんだよ、リノア。

 そして。

 ―――「スコール! …リノアが!……リノアが!!」



 リノアは。

  (おねえちゃん…)





 (おねえちゃん……どこいったの?)

 また、無くすのか…?

 (………エルおねえちゃん)

 俺は、―――子供の頃を、思い出す。

 まだほんの4、5歳だった頃、俺は孤児院で暮らしていた。
 小さな島の石の家。
 仲間達も、みんなそこで暮らしていた。
 ゼル、キスティス、セルフィ、アーヴァイン、…それから、サイファー。
 自分達の本当の親の顔はおろか、その名前すら知らない奴等ばかりだった。
 だが、俺達は幸せだった。
 優しいまま先生が、居てくれたから。
 みんなが、―仲間が居てくれたから。
 俺達は…、……いや、違ったな。
 それでも俺は、淋しかった。
 
 
 孤児院には、もう一人。俺にとって、とても大切な『おねえちゃん』がいた。
 おねえちゃんは、いつも俺を見守っていてくれた。一緒に居てくれた。
 まるで、本当の姉のように。
 そんな『おねえちゃん』―エルオーネが、俺は大好きだった。
 他の孤児達から、彼女を独り占めにする位…彼女を慕っていた。
 
 だが、エルオーネは、ある日突然いなくなってしまった。
 何も言わず、消えてしまった。

 俺は、待った。
 大好きな彼女を。
 いつもいつも、彼女が俺の元に帰って来ることだけを信じて、ひたすらに待っていた。
 けれど、エルオーネはそのまま、孤児院には戻って来なかった。

 ―――信じた者に、捨てられる。

 それは、無知で無力なガキの逆恨みだったのかもしれない。
 だが、そのガキは、そうする事でしか自分を守る術を知らなかった。
 …それ以来。
 俺は悟ってしまったんだ。

 『人は、独りだ。他人など、仲間など、俺はいらない。俺は独りでも生きていける』

 情けないな。馬鹿みたいだ。
 結局、俺は何も変わっていない。
 今なら解る。…認められる。
 独りで生きてやろうと、必死に強がりながら、
 決意の裏にはあの頃からずっと、小さな願いが潜んでいたんだ。

 『どんな事があろうとも、決して俺から離れていかないものが欲しい』

 リノアは、こんな俺でも、いつも引っ付いて来てくれていた。
 他人を拒絶する俺に、踏み込もうとしてくれていた。
 俺の話が聞きたいと言ってくれた。真っ直ぐな感情でぶつかって来てくれた。
 いつも、微笑みかけてくれた。

 もしも彼女がいなくなったら、……誰がこんな俺を必要としてくれる?

 誰が……?

   (ぼく……ひとりぼっちだよ)

 二度と、御免だ。

 どこまでも深く広がる空の茜が、目に染みる。
 雄大な景色を前に、俺は、人間が…自分がいかにちっぽけな存在なのか、しみじみと感じた。
 隣には、俺に寄り添う形で座らせたリノアが居る。
 朝日と同じ茜色に染まったリノアの瞼は、閉ざされたままだ。
 でも、あんたにも見えているだろう、この昇り掛けの太陽が。
 きっと。
 
 
 
 (みんなどうしてるかな・・・)
 
 
 
 俺は、リノアとエスタに行こうとしている。
 エルオーネに会う為だ。
 彼女の、他人を過去の世界へ送り込む力。
 …エルオーネの力を借りれば、今のリノアを助ける事が出来るかもしれない。
 でも、みんなには黙って出て来てしまった。
 いても立っても居られなかった、それもそうだが。
 一瞬でもリノアに対して『絶望』を見せたみんなに、話したくなかった想いもあったんだ。
 
 
 ―――「みんなおねえちゃんが好きだったのに、スコールが独り占めしてたんだよね?」
 
 
 相変わらずだな。

 (俺のこと笑ってるかもな。いや、怒ってるかな?)
 
 
 「どう思う?」
 
 

 返事は、期待していない。
 一方通行でいい。とにかくあんたに話し掛けたかった。
 『俺の話』を。

 「俺、本当は他人にどう思われてるか気になって仕方ないんだ」

 「でも、そんなこと気にする自分も嫌で・・・」

 「だから、自分のこと、他人に深く知られたくなかったんだ」

 「そういう自分の嫌な部分。隠しておきたいんだ」

 「スコールは無愛想で何考えてるか解らない奴」

 「みんなにそう思われていればとっても楽だ」

 

 「今の、みんなには内緒だからな」

 俺は、再びリノアの身体を背に背負う。
 だらんと力なく垂れる手足をしっかり抱え込んで。
 そして、エスタへ続く道を、歩き出す。
 
 日は、次第に高くなる。
 空に滲んだ陽の色が、光に変わり消えかけている。
 眩さを増す光の中、ゆっくりと歩を進めながら、俺は未だ解けない疑問について考えていた。
 
 
 
 果たしてこれは、彼女の為なのだろうか。
 
 それとも、自分自身の為?
 
 ……そうだな。そうかもしれない。
 
 答えなんて、見つからない。
 
 そんな事は、どうでもいいんだ。
 
 
 
 ただ、もう一度……。

 「スコール」

 俺を求める声が聞きたい。





あとがき

‖まにまに文庫‖ ‖石鹸工場‖