本当は、知っていたの
あなたが何を恐れているのか
あなたが何を失ったのか
本当は分かっていたのに
言い出せなかった
口に出したら、あなたがどこかへ行ってしまいそうで
本当は、知っていたの
私が何を望んでいるのか
私が何を欲しがっていたのか
本当は分かっていたのに
目を逸らしていた
見詰めてしまったら、私がどんどん醜くなってしまうようで
本当は、気付いていたの
あなたが誰を見詰めていたのか
あなたが誰を探し求めているのか
本当はずっと前から分かっていたのに
心の声に、耳を塞いでいた
もし、聞いてしまったら、…………








                
 「分かったような気がする……星からの答え。……約束の地」

 誰に言うのでもなく、そう呟く彼を見上げ、ハッとした。
 今、私の身体は彼に包まれている。
 暖かく、力強い彼の腕に支えられ、彼の鼓動を感じている。
 脚下には、確かな地が無いのに関わらず、不思議な位の安心感。
 だって。 彼は確かにここに居るんだもの。
 私を支えてくれているんだもの。
 彼が私の側に居てくれる。
 だから、ちっとも怖くなかった。 むしろ、幸せだった。
 ………彼の言葉を聞くまでは。

 ねぇ、感じてる? 私の鼓動を感じてる?
 今、一番近くに居るのは、私なんだよ?
 どこを見ているの? ……誰を見ているの?

 彼の心は、ここには無い……

 ―――――お願い……言わないで

 次に彼が、どんな言葉を紡ぎ出すか、多分私は分かっている。
 なのに、聞きたくなかった。
 はっきりと彼の口から言われることで、決定的になるのが怖かった。
 無意味なことだ。結論を、先延ばしにすることを願っているのにすぎない。
 
 ………偽りの幸せが、欲しいの?

 そう。偽りでもいい。
 彼が私の側に居てくれるなら。
 例え、偽りであったとしても。
 
 求めて、どこがいけないの?

 ―――――お願い…… このまま、時を止めて……

 未来なんて、欲しくない。
 今、私を抱きしめてくれる彼と、彼に抱きしめられる私。この瞬間だけでいい……

 彼女を選ぶの?
 彼女じゃなきゃ、ダメなの?

 言わないで

 「そこで、逢えると思うんだ」

 穏やかな表情で、とても、とても幸せそうに微笑む彼。

 私の中で何かが崩れて行く。

 彼は。
 彼女を、選んだ。

 ―――――これが、彼の答 ……

 予感していたから。思った程のショックは無かった。
 胸を突き刺すような痛みも、身体が凍っていくような寒さも、あまり感じなかった。
 自分でも驚く程、彼の言葉を冷静に受けとめていた。
 分かってたから。 こうなることを。

 もしかしたら、この言葉を、私は心の何処かで待っていたのかもしれない。
 自分の気持ちを整理するきっかけを、彼から与えてもらいたかったのかもしれない。
 私から、彼への想いを断ち切る事は出来なかったから。

 でも、そう思う事で、自分を慰めている。
 哀しみを強がりで塗りつぶそうとしている。
 物分りの良い女を演じる事で、哀しみを昇華させようとしている。

 拒絶と切望。 アンビヴァレンスな感情。
 どちらの気持ちが本当?
 ……どちらの気持ちも、本当。

 堂々巡り。結論はでない。

 でも。
 やっぱり、苦しいね……

 彼の言葉に応えようと、私はゆっくりと彼に笑顔を浮かべる。

 大丈夫。
 ……大丈夫。

 それは…… 自分でも、とてもよく出来た笑顔だったと思う。
 心の奥隅に隠した哀しく淋しい気持ちがほんのひと欠片、現れてしまったけれども。
 でも、これ位、許してくれるよね?

 「うん…… 逢いに行こう」
**********

 多分、彼女に出会った時から、分かっていた。
 女のカン、というのかな?
 彼女の瞳を見詰めた時、彼女を見詰める彼の瞳に気付いた時。
 敵わないって思っていた。
 だって、一目見た瞬間、私も彼女のことが大好きになってしまったから。
 彼女の、明るさ。 彼女の、優しさ。
 彼女の、強さ。  彼女の、笑顔。
 その一挙一動全て、魅力的で新鮮だった。
 そんな彼女の姿を見詰める彼の瞳は。
 私が見た事のない、誰にも見せた事の無い、穏やかな光を放っていた。
 優しさ、慈しみ、愛おしさ。そして少しだけ、焦燥と羨望、戸惑いと憧れの念。それら全てが混ざった熱い眼差し。
 正直、目を疑った。
 いつも、溶けない氷のような視線で、無感情に他人を一瞥していた彼が、こんなに自分の感情を曝け出すなんて。

 ……多分、彼は知らない。気付いていない。
 自分が彼女をいつも見詰めている事を。

 自分がどんな感情を、彼女に抱いているかを。

 本当はね、エアリス。あなたに憧れながら、私はあなたに嫉妬してた。
 だって、何一つ、私はあなたに勝てない。
 あなたは、私が欲しいものを、こうなりたいって望んでるものを、全て持っていたから。
 だから、あなたの知らない彼の事、彼の失われた過去を私が知っていることは、唯一の私の支えだった。
 これだけは、私だけの思い出……
 彼と私の、秘密の約束……


 それは、諸刃の剣でもあった。


 私と彼を繋ぐ、大切な大切な思い出は、同時に私の心を、どうしようもなく不安にさせた。

 ………ここにいる『彼』は、本当に私の知っている『彼』なの?
 
 だから、側にいたかった。確かめたかった。私の予感が、外れる事を祈りながら。
 でも、………思い出せば、思い出す程、考えれば考える程、私の予感は確固たるものに変わっていった。
 結局、私の望んでいない結論に、戻ってしまう。
 口を閉ざす事で、誤魔化す事で、私は彼を繋ぎ止めようとしていた。

 それは……… その行為は、まったく裏目に出た。
 私が真実から目を逸らそうとしたことが、彼の心を深く傷つけた。
 どうしようもない位、彼の心を追い詰めた。
 一番残酷な形で、真実が還ってきてしまったんだ。    
 どうしてだろうね? 誰もこんなこと、望んでいなかったのに。
 都合のいい真実だけを選んだ、私への罰?    
 お願い、彼との思い出を、嘘にさせないで………

 自分の気持ちと向き合う時間が出来た時。
 どうしようもなく、嫌だった。
 不可解なうわ言を呟くばかりで、戻ってきてくれない彼。
 
 ……ねぇ? 私はここにいるんだよ?私のこと、見えないの?    
 もしかしたら、彼はずっとこのままなの………?

 ―――――もし、彼の側に居るのが、私じゃなく、彼女だったら……?
     
 あなたが居なくなってからの方が、あなたの存在を強く感じずにいられない。
 思い知らされる。
 あなたが彼の心の中で、どれ程大きい位置を占めていたのかを。
 苦い想い。身を焦がされるような負の感情。

 ……嫉妬だ、これは。

 情けない。あなたに対して、こんな気持ちを抱いてしまうなんて。
 こんなに強い嫉妬を覚えてしまうなんて………


 何も出来ない無力感。
 私が彼を救うことは出来ないの?
 疲れた。
 いつまでも目覚めてくれない彼を、目覚めてくれる保証のない彼の側に居る事が。
 とても、疲れた。

 ―――――もし、彼女が居てくれたら………


 彼よりも、私の方が、あなたの存在を求めている。あなたに頼っている。
 あなたが居てくれれば、彼も、そして今の私も救われる。
 精神的に、どんなに大きな拠り所になるか……。
 そう思って、気が付いた。
 心の奥から囁く声に。

 ここに、彼の側に居ることも、きっと純粋に彼の為だけじゃない。
 失くしたくないから。 彼が自分だけに与えてくれたあの想い出を失くしたくないから。
 彼との繋がりを嘘にしたくないから。
 彼の為より、何よりも自分の為に、ここに居る。


 嫌だ。私、そんなこと思ってないよ……!
 そんなんじゃない……!!
 私は、彼の事を……!!


 確かに、私は彼の事を想っている。
 彼の事が、…好き。
 でも、それは愛なの?
 私が彼に抱いている気持ちは、愛なの?…恋なの?

 『愛』は、まごころの想い。
 自分よりも何より相手を想い、相手の為に動く、無償の想い。
 『恋』は、下心のある想い。
 相手を想いつつも、最終的には自分の為に動いてしまう想い。


 違う……!
 私は……!!!


 言葉で否定するのは簡単。
 でも、心までは否定出来ない。

 ダメだね。私は、あなたの変わりにはなれない。
 あなたのように、強くなれない………
    
 嫌な女。自分の望みだけを求める、ズルくて弱い女
   
 こんな私が、世界で一番嫌い………

 『彼』を見つけた時。嬉しかった。
 嘘じゃなかった。彼との思い出は。
 彼は、私の為に夢を叶えようとしてくれていた。あの星の夜の約束を、彼は覚えてくれていた。
 約束、守ってくれていたんだね……
 本当に、本当に嬉しかった。
 彼も、私を見ていてくれていたんだ……

 でも、彼は。帰って来てくれた彼は、私の知っている『彼』であり、知らない『彼』だった。
 いつも遠くから、何かを訴えかけるように、それでいて拒絶するように私達を見詰めていたのに。
 あの夜、突然私をあの給水塔に呼び出して、私に夢を語ってくれた『彼』。
 大きな青い瞳を輝かせながら、遥かなる未来への希望を胸に秘め、夢を叶える事を約束してくれた、私よりも少し背の低かった『彼』。
 彼が初めて自分の素直な感情を私に見せてくれた、二人だけの秘密の記憶。
 それは、本当。
 でも、あの彼―7年前の約束をした彼は、今、ここにいる彼とは、少し違う。
 青から蒼に変わった瞳が見ているものは、求めているものは。


 …………あなたなんだね。

 あなたが居たから、彼は戻ってくる事が出来た。あなたが居たから、彼は、自分の真実を受け入れる事が出来たんだね。
 強くなれたんだね。
 今でも、彼の側には、いつもあなたがいる………
 今まで漠然と、でもずっと感じていた事。
 それが今の彼を見て、はっきりとした。

 きっとあなたは、彼にとっての『未来』であり、『永遠』。
 そして私は、彼にとって、『懐かしい過去』であり、『想い出』。

 彼の胸ポケットに入れられている、宝物。
 それを私は、あの最後の夜に初めて知った。

 ピンク色のリボン。
 >少し色褪せたリボンを、彼は決意に燃えた瞳で愛おしそうに見詰めていた。
 まるで、彼女を見詰めるように。

 やっぱり、私は、あなたに勝てなかった。
 彼の中にいる、あなたに敵わなかった。

**********

 「分かったような気がする……星からの答え。……約束の地………。
 そこで、逢えると思うんだ」

 「うん…… 逢いに行こう」

 大丈夫。
 もう、大丈夫。
 彼に。
 子供の時の想い出に縋っていた私に。
 
 さよなら。

 ねぇ、エアリス。いつかまた、逢えるよね?
 彼の元へ、帰って来てくれるよね? 
 
 あなただったから。
 彼を『想い出』にすることが出来るのだと思う。
 一番大切な、最高の幼馴染になれると思う。
 
 あなたが居たから。 
 あなたと出会えたから、私も変わる事が出来る。
 強くなれる気がする。
 私、待ってる。
 あなたにまた逢える日を。
 ずっと、ずっと待ってるよ。

 彼と一緒のあなたに逢った時。
 最初の言葉は、もう決めてある。
 きっと私はあなたにこう言うの。

「 ありがとう 」
 って。

あとがき

**まにまに文庫** **石鹸工場**