|
「分かったような気がする……星からの答え。……約束の地」 |
|
誰に言うのでもなく、そう呟く彼を見上げ、ハッとした。
今、私の身体は彼に包まれている。
暖かく、力強い彼の腕に支えられ、彼の鼓動を感じている。
脚下には、確かな地が無いのに関わらず、不思議な位の安心感。
だって。 彼は確かにここに居るんだもの。
私を支えてくれているんだもの。
彼が私の側に居てくれる。
だから、ちっとも怖くなかった。 むしろ、幸せだった。
………彼の言葉を聞くまでは。 |
|
ねぇ、感じてる? 私の鼓動を感じてる?
今、一番近くに居るのは、私なんだよ?
どこを見ているの? ……誰を見ているの? |
|
彼の心は、ここには無い…… |
|
―――――お願い……言わないで
次に彼が、どんな言葉を紡ぎ出すか、多分私は分かっている。
なのに、聞きたくなかった。
はっきりと彼の口から言われることで、決定的になるのが怖かった。
無意味なことだ。結論を、先延ばしにすることを願っているのにすぎない。
………偽りの幸せが、欲しいの? |
|
そう。偽りでもいい。
彼が私の側に居てくれるなら。
例え、偽りであったとしても。
求めて、どこがいけないの? |
|
―――――お願い…… このまま、時を止めて…… |
|
未来なんて、欲しくない。
今、私を抱きしめてくれる彼と、彼に抱きしめられる私。この瞬間だけでいい…… |
|
彼女を選ぶの?
彼女じゃなきゃ、ダメなの? |
|
言わないで |
|
「そこで、逢えると思うんだ」
穏やかな表情で、とても、とても幸せそうに微笑む彼。
私の中で何かが崩れて行く。 |
|
彼は。
彼女を、選んだ。 |
|
―――――これが、彼の答 …… |
|
予感していたから。思った程のショックは無かった。
胸を突き刺すような痛みも、身体が凍っていくような寒さも、あまり感じなかった。
自分でも驚く程、彼の言葉を冷静に受けとめていた。
分かってたから。 こうなることを。
もしかしたら、この言葉を、私は心の何処かで待っていたのかもしれない。
自分の気持ちを整理するきっかけを、彼から与えてもらいたかったのかもしれない。
私から、彼への想いを断ち切る事は出来なかったから。
でも、そう思う事で、自分を慰めている。
哀しみを強がりで塗りつぶそうとしている。
物分りの良い女を演じる事で、哀しみを昇華させようとしている。
拒絶と切望。 アンビヴァレンスな感情。
どちらの気持ちが本当?
……どちらの気持ちも、本当。
堂々巡り。結論はでない。 |
|
でも。
やっぱり、苦しいね…… |
|
彼の言葉に応えようと、私はゆっくりと彼に笑顔を浮かべる。
大丈夫。
……大丈夫。 |
|
それは…… 自分でも、とてもよく出来た笑顔だったと思う。
心の奥隅に隠した哀しく淋しい気持ちがほんのひと欠片、現れてしまったけれども。
でも、これ位、許してくれるよね? |
|
「うん…… 逢いに行こう」 |
|
********** |
|
多分、彼女に出会った時から、分かっていた。
女のカン、というのかな?
彼女の瞳を見詰めた時、彼女を見詰める彼の瞳に気付いた時。
敵わないって思っていた。
だって、一目見た瞬間、私も彼女のことが大好きになってしまったから。
彼女の、明るさ。 彼女の、優しさ。
彼女の、強さ。 彼女の、笑顔。
その一挙一動全て、魅力的で新鮮だった。
そんな彼女の姿を見詰める彼の瞳は。
私が見た事のない、誰にも見せた事の無い、穏やかな光を放っていた。
優しさ、慈しみ、愛おしさ。そして少しだけ、焦燥と羨望、戸惑いと憧れの念。それら全てが混ざった熱い眼差し。
正直、目を疑った。
いつも、溶けない氷のような視線で、無感情に他人を一瞥していた彼が、こんなに自分の感情を曝け出すなんて。
……多分、彼は知らない。気付いていない。
自分が彼女をいつも見詰めている事を。
自分がどんな感情を、彼女に抱いているかを。 |
|
本当はね、エアリス。あなたに憧れながら、私はあなたに嫉妬してた。
だって、何一つ、私はあなたに勝てない。
あなたは、私が欲しいものを、こうなりたいって望んでるものを、全て持っていたから。
だから、あなたの知らない彼の事、彼の失われた過去を私が知っていることは、唯一の私の支えだった。
これだけは、私だけの思い出……
彼と私の、秘密の約束……
それは、諸刃の剣でもあった。
私と彼を繋ぐ、大切な大切な思い出は、同時に私の心を、どうしようもなく不安にさせた。
………ここにいる『彼』は、本当に私の知っている『彼』なの?
だから、側にいたかった。確かめたかった。私の予感が、外れる事を祈りながら。
でも、………思い出せば、思い出す程、考えれば考える程、私の予感は確固たるものに変わっていった。
結局、私の望んでいない結論に、戻ってしまう。
口を閉ざす事で、誤魔化す事で、私は彼を繋ぎ止めようとしていた。 |
|
それは……… その行為は、まったく裏目に出た。
私が真実から目を逸らそうとしたことが、彼の心を深く傷つけた。
どうしようもない位、彼の心を追い詰めた。
一番残酷な形で、真実が還ってきてしまったんだ。
どうしてだろうね? 誰もこんなこと、望んでいなかったのに。
都合のいい真実だけを選んだ、私への罰?
お願い、彼との思い出を、嘘にさせないで……… |
|
自分の気持ちと向き合う時間が出来た時。
どうしようもなく、嫌だった。
不可解なうわ言を呟くばかりで、戻ってきてくれない彼。
……ねぇ? 私はここにいるんだよ?私のこと、見えないの?
もしかしたら、彼はずっとこのままなの………?
―――――もし、彼の側に居るのが、私じゃなく、彼女だったら……?
あなたが居なくなってからの方が、あなたの存在を強く感じずにいられない。
思い知らされる。
あなたが彼の心の中で、どれ程大きい位置を占めていたのかを。
苦い想い。身を焦がされるような負の感情。
……嫉妬だ、これは。
情けない。あなたに対して、こんな気持ちを抱いてしまうなんて。
こんなに強い嫉妬を覚えてしまうなんて………
何も出来ない無力感。
私が彼を救うことは出来ないの?
疲れた。
いつまでも目覚めてくれない彼を、目覚めてくれる保証のない彼の側に居る事が。
とても、疲れた。 |
|
―――――もし、彼女が居てくれたら………
彼よりも、私の方が、あなたの存在を求めている。あなたに頼っている。
あなたが居てくれれば、彼も、そして今の私も救われる。
精神的に、どんなに大きな拠り所になるか……。
そう思って、気が付いた。
心の奥から囁く声に。
ここに、彼の側に居ることも、きっと純粋に彼の為だけじゃない。
失くしたくないから。 彼が自分だけに与えてくれたあの想い出を失くしたくないから。
彼との繋がりを嘘にしたくないから。
彼の為より、何よりも自分の為に、ここに居る。
嫌だ。私、そんなこと思ってないよ……!
そんなんじゃない……!!
私は、彼の事を……!!
確かに、私は彼の事を想っている。
彼の事が、…好き。
でも、それは愛なの?
私が彼に抱いている気持ちは、愛なの?…恋なの?
『愛』は、まごころの想い。
自分よりも何より相手を想い、相手の為に動く、無償の想い。
『恋』は、下心のある想い。
相手を想いつつも、最終的には自分の為に動いてしまう想い。
違う……!
私は……!!!
言葉で否定するのは簡単。
でも、心までは否定出来ない。 |
|
ダメだね。私は、あなたの変わりにはなれない。
あなたのように、強くなれない………
嫌な女。自分の望みだけを求める、ズルくて弱い女
こんな私が、世界で一番嫌い……… |
|
『彼』を見つけた時。嬉しかった。
嘘じゃなかった。彼との思い出は。
彼は、私の為に夢を叶えようとしてくれていた。あの星の夜の約束を、彼は覚えてくれていた。
約束、守ってくれていたんだね……
本当に、本当に嬉しかった。
彼も、私を見ていてくれていたんだ……
でも、彼は。帰って来てくれた彼は、私の知っている『彼』であり、知らない『彼』だった。
いつも遠くから、何かを訴えかけるように、それでいて拒絶するように私達を見詰めていたのに。
あの夜、突然私をあの給水塔に呼び出して、私に夢を語ってくれた『彼』。
大きな青い瞳を輝かせながら、遥かなる未来への希望を胸に秘め、夢を叶える事を約束してくれた、私よりも少し背の低かった『彼』。
彼が初めて自分の素直な感情を私に見せてくれた、二人だけの秘密の記憶。
それは、本当。
でも、あの彼―7年前の約束をした彼は、今、ここにいる彼とは、少し違う。
青から蒼に変わった瞳が見ているものは、求めているものは。
…………あなたなんだね。
あなたが居たから、彼は戻ってくる事が出来た。あなたが居たから、彼は、自分の真実を受け入れる事が出来たんだね。
強くなれたんだね。
今でも、彼の側には、いつもあなたがいる………
今まで漠然と、でもずっと感じていた事。
それが今の彼を見て、はっきりとした。
きっとあなたは、彼にとっての『未来』であり、『永遠』。
そして私は、彼にとって、『懐かしい過去』であり、『想い出』。 |
|
彼の胸ポケットに入れられている、宝物。
それを私は、あの最後の夜に初めて知った。
ピンク色のリボン。
>少し色褪せたリボンを、彼は決意に燃えた瞳で愛おしそうに見詰めていた。
まるで、彼女を見詰めるように。 |
|
やっぱり、私は、あなたに勝てなかった。
彼の中にいる、あなたに敵わなかった。 |
|
********** |
|
「分かったような気がする……星からの答え。……約束の地………。
そこで、逢えると思うんだ」 |
|
「うん…… 逢いに行こう」 |
|
大丈夫。
もう、大丈夫。
彼に。
子供の時の想い出に縋っていた私に。
さよなら。 |
|
ねぇ、エアリス。いつかまた、逢えるよね?
彼の元へ、帰って来てくれるよね?
あなただったから。
彼を『想い出』にすることが出来るのだと思う。
一番大切な、最高の幼馴染になれると思う。
あなたが居たから。
あなたと出会えたから、私も変わる事が出来る。
強くなれる気がする。
私、待ってる。
あなたにまた逢える日を。
ずっと、ずっと待ってるよ。 |
|
彼と一緒のあなたに逢った時。
最初の言葉は、もう決めてある。
きっと私はあなたにこう言うの。 |
|
「 ありがとう 」
って。 |
|