古い木の階段が、今にも壊れてしまいそうなきしみ声をあげて、小山のような巨体が、階下におりてきた。
 心なしかその足取りは、重いように見える。
 ティファは、その人物の姿を認めると、前のカウンターに座るよう目で合図した。
 バレットは、一本足の背の高い椅子に腰掛けると(これまた折れてしまいそうな悲鳴をあげたが…)、大きくため息をついた。


 「何か飲む?」
 「…おぅ。すまねえな。」
 「いつもので、いいわね。」


 ティファは、彼が以前から愛飲していた南国地方産の蒸留酒を、氷と共にグラスに注ぎ、カウンターの前に置く。
 バレットは、それを一気に飲み干すと、再びため息をついた。
 彼にしては、非常に珍しい。


 「マリンはどうしてるの?」
 「…おぅ。部屋に閉じこもって出てきやしねぇ。」
 「…そう。」
 「なぁ、ティファ。俺は間違っていたのかよ…?」


 夕刻、彼ら親子の間に、ちょっとした諍いがあった。
 飽くまでも他人の目から見れば、“ちょっとした”ごく普通の親子喧嘩なのだが、バレットにしてみれば、かなりショッキングな出来事だったらしい。


 彼らは今、メテオ落下によって壊滅的打撃を受けたミッドガルの難民救済のために働いている。
 ホーリーとライフストリームの庇護によって、直撃は免れたが、ミッドガルは上層のプレート部分以上が全て吹き飛び、外壁も無くなり、むき出し状態の無惨な有様になっていた。
 メテオ消滅の際の衝撃を、プレート部分が受け止める形となったので、下層のスラム部分に避難していた多くの住民は何とか無事に助かることができたのだと思われた。
 ミッドガルが、その人工摩晄都市としての権勢を誇っていた時代、スラムの人々にとっては、光を奪われ、汚物をまき散らかされ、呪いの対象でしかなかったそれに、 命を救われることになるとは、なんとも皮肉な結果だと言えた。
 摩晄エネルギーが尽き、機能が失われた砂漠の人工都市に留まろうとする者は少なく、多くの人々が新たな活路を外の地に求め、ミッドガルを後にしていった。
 彼らは、そんな人々を援護し、新天地に無事に辿り着くための手助けや、復興作業に従事していたのだった。


 ティファは、昼間はそうして人々を守るために働き、夜はそんな人々の疲れを癒すために、ミッドガルにほど近いこのカームの町で、酒場を開いていた。

 そんなある日。
 …マリンが居なくなった。
 大人達が忙しく働き回っている昼間、子供達は置き去りにされる形になってしまっていたので、誰もそれに気づかなかった。
 年齢のわりに大人びたところのあるマリンは、これまでにいらぬ心配をかけるようなことは、ほとんど無かったので、 顔色を変えたバレット始め大人達が、必死になって探し回っていたところへ…
 夕刻になって、ひょっこり帰ってきた。
 何もなかったような顔をして。
 バレットは、マリンの無事に大きく安堵しながらも、心配のあまり、つい怒鳴りつけてしまったのだった。
 無断で出ていったことの、理由も聞かず。
 普段、そのように父親に怒鳴られたことなど無かったマリンは、驚いて、すねて部屋に引きこもってしまった。

 「…なぁ、俺はどうすりゃいいんだ。」
 「マリンは聞き分けの良い子よ。今までこんなこと無かったじゃない。心配しすぎよ、バレット。」
 「…そうじゃねぇ。そうじゃねぇんだ。」


 バレットは言いにくそうに言葉を切ると、ティファが入れてくれた2杯目のグラスを空けた。 


 「俺は、マリンの本当の親じゃねぇ。そのことは、いつかはアイツに話さなきゃならねぇ。 故郷のこと、アイツの本当の親のこと…。」
 「・・・・・」
 「…本当の両親と…俺のとのことも…な。」
 「…もう1杯つくろうか。わたしも飲みたくなっちゃった。」


 ティファはバレットのために3杯目を、自分のために1杯のグラスを入れ、カウンターを回って前へ出てくると、バレットの隣の椅子に腰掛けた。


 「ティファ、おまえにだから、言えるんだけどよ。…俺は怖いんだよ、アイツに本当の事を話さなきゃならないときがくるのが。」
 「バレットにも怖いものがあるのね。」


 くすっ…とティファが小さく笑う。


 「そ、そりゃあ、俺だって人間だぜ。怖いモンくらいあらあな。」


 酒のまわりと、ティファのその様子、彼女に心の内をうち明けたことで不安な心がほぐれたのか、少しいつもの彼に戻ったようだった。
 相変わらずの強面めいた髭面で笑うが、その照れたような様子が、少し少年っぽい。


 ひとしきり、ふたりで顔を見合わせてかるく笑った後に。


 「…なぁ、本当に良かったのか。」
 「なにが…?」
 「…なにがって、おまえ…。」


 聞き返しはしたが、ティファにはバレットの問いの意味が分かっていた。

 今朝早く、クラウドが旅立っていった。
 たったひとりで。
 行き先も告げずに。
 彼の旅の目的は分かっていたので、誰も何も聞かなかった。
 クラウドを直接見送ったのは、ティファただひとり。
 かれらは殆ど言葉も交わさずに、お互いへの感謝の気持ちとこれからの無事を祈って、かるく抱き合い、そして…別れた。
 早朝の濃いミルク色の霧の中に、チョコボに跨ったその特徴ある髪型の後ろ姿が…すぐに見えなくなってしまった。
 …彼は一度も後ろを振り返らなかった。 

 「…おまえよ、あいつをひとりで行かせて、本当に良かったのか。」
 「彼が旅に出た理由は、バレットにだって分かっているんでしょ。」
 「そりゃあ…、だがよ、そんなことあるわけないじゃねぇか。」
 「彼ね、わたしに言ったの。」


 ティファは少し言葉を切ると、遠くを見るような目で思い出すように虚空を見つめる。


 「“約束の地”…そこで会えるような気がする…って。」 


 “会えるような気がする”
 クラウドが会いたいと思ってる人は、彼が探しに行った人は…それは。
 だが、その人は。


 「…会えるって、言ってたのか、そこで。…エアリスによ。」 


 未だに彼らにとっては忘れ得ない、懐かしく優しく、…愛しいひびきを持ったその人の名前。
 大切な、たいせつな仲間だった人。
 辛く厳しい闘いの旅の中で、いつも花のような明るい笑顔で、仲間達を元気づけてくれた人。
 誰よりも、明るい幸せな未来を夢見ていた人。
 その小さな身ひとつで、星の全てを救う希望を残してくれた人。
 …彼が、クラウドが大切に思っていた人、誰よりも。


 「だが、そんなこと叶えられるとは思えねぇ。 それに…やつはどこに向かったてんだ?“約束の地”ってのは、一体…」
 「さぁ…。それはわたしには分からないわ。クラウドにも…実際には分かってはいなかったみたいよ。 でも…」


 ティファは、真っ直ぐバレットの方に、向き直って言った。


 「会えるっていう確信があるのよ。彼には。」
 「…会えるって、ほ、本当にまた、あ、あいつに会えるっていうのかよ。」


 少し震える声でバレットが答える。
 彼はその見かけに似合わず、涙もろいところがある。


 「会えるって信じましょうよ、バレット。わたしもエアリスに会いたいもの! ふたりでわたし達に会いに来てくれるのを待ちましょうよ。」
 「…あ、ああ。。そうだな。…おぅいけねぇ。どうも俺は酒癖が良くなくってよ。」


 バレットは、酒のせいだとばかり、目頭を強くこすりあげる。
 ティファは、そんな彼の様子が、とても愛しく思えた。
 そっと立ち上がり彼の後ろに回ると、岩山のような大きな背中にその頭をつけて寄りかかった。
 これには、さすがのバレットも少しうろたえた。


 「…お、おぅ、、なんだ。」
 「…バレット、いつもわたしを守って、庇ってくれてたよね。…どこでも、どんなときでも。」
 「…そ、そりゃ、一応は…俺はおまえらの…リーダーだったしよ。それに、おまえには…、」


 “特別に世話になった”という言葉が言い切れず、思わず口ごもってしまう。
 ティファは、その鍛えられたしなやかな腕を、後ろからバレットの太い首に回し、自分の頭を彼の頭に寄りかけた。


 「…わたしが…彼のことを見ていたときも。」
 「…ティファ。」
 「気が付いてた。…もうずっと前から気づいてた。」
 「・・・・・」
 「ありがとう。わたしもバレットのこと、マリンのこと大切に思ってる。誰よりも…。」


 回された彼女の腕に、バレットはそっと、その岩のような厳つい左手を重ねた。
 そのまま佇むふたりの傍らで、カウンターに置かれたふたつのグラスの氷が静かに溶けていった。 

 「…ちょっと、マリンの様子見てくるわね。」


 しばらくの後、そっとバレットから離れると、ティファは階段を上がっていった。


 「マリン、起きてる?」 


 酒場の階上が、彼らの居室になっている。
 ティファは、古びた木のドアをかるくノックした。 


 「わたしよ。入ってもいい?」
 「…うん。」


 部屋に入ると、マリンはベッドの中で布団にくるまって、泣いていたようだった。
 ティファは、ベットに腰掛けると、マリンのくしゃくしゃになった髪をそっとなでてやる。 


 「父さんのこと、怒ってる?」
 「…ううん。父ちゃんのこと心配させたから、怒られたのはわかってるの。 でもマリンね、父ちゃんに言ってから行きたかったのに、父ちゃんも、ティファも、忙しそうで話きいてくれなかったんだもん。」
 「…そう。ごめんね。マリンの話聞いてあげられなくって。」
 「ううん。いいの。だって父ちゃんもティファも、大変なの分かってるもん。 でも約束だから、どうしても行きたかったの。」
 「行きたかったって、どこへ?」


 マリンは、少し躊躇した様子をみせたが、思い切って言うことにしたようだった。


 「…お姉ちゃんのお花畑。クラウドに約束したの。」
 「クラウドに…!?」


 驚いたことに、クラウドは毎日、暇を見つけてはマリンと共に、ミッドガルの古びた教会跡に咲いている花の世話をしに行っていたのだという。


 直撃は免れたとはいえ、スラムの有様も惨憺たるものだった。
 そんな中で、エアリスが花を守り育てていたあの教会廃墟だけは、まるで何事もなかったかのように…無事だった。
 そこに咲き誇っていた花達と共に。
 復興作業に忙しい大人達は、そんな小さな奇跡に気を留めていられなかったが、置き去りにされた子供達は、自然とそこに集まり花を慈しむようになっていた。
 …彼女が、生ある時にずっとそうしていたように。
 彼は…クラウドは、忘れ得ぬ愛しい彼女の面影を求めて、その場所に赴いていたのだろうか。
 それとも、彼女の愛していたものを、受け継いでいく意志だったのか。


 「…そう…だったの。知らなかったわ。」
 「誰にも言わないでくれって、クラウドが。…ちょっと恥ずかしかったみたい。」


 くすり…と小さく笑ってマリンが言う。
 確かに以前の彼からは、とても想像もできない。
 人によっては、女々しいともとられる行動だ。 



 マリンは、少し言いよどんだ様子を見せると、


 「…あのね。昨日ね、お花畑の中に、お姉ちゃんが居たのが…見えたの。」
 「…!!」
 「マリンね、お姉ちゃんにずっと会いたかったから、会えたの嬉しかったから、そばに行こうとしたの。そうしたら…」


 ティファの顔を伺うようにして言う。


 「…クラウドが、お姉ちゃんとふたりにしてくれ…って。」


 ティファは、全身が震えるのを感じた。
 それではエアリスは、彼女の魂はそこに居たのだろうか、ずっと。
 そこで待っていたのだろうか。クラウドのことを。
 …それを感じて、彼はその場所に通い詰めたのか。。
 だが、それならば何故彼は。


 マリンは、思い出すように言葉を続ける。


 「だからマリン、ちょっとだけ表で待ってて、その後、クラウドが呼びに来てくれたときは、もうお姉ちゃんどこにも、居なくなってて…」


 マリンは、ベッドの端に腰掛けて、下を向いて足をぶらぶらさせながら続けて言う。 もう何もかも全部言ってしまうことにしたようだった。


 「クラウドがね、本当のお姉ちゃんは、今ここには居ないんだって。 でもきっとどこかに居るはずだから、絶対探して連れてくるって。それまでお花のことを頼むって。」
 「・・・・・」
 「お姉ちゃん、クラウドが迎えに来てくれるの待ってるって。」


 マリンの言葉に、ティファは、目の前がにじんでかすれて見えた。
 そうだったのか。
 だから彼は…。


 「ティファ、クラウドのこと許してあげてね。お姉ちゃんのこと許してあげてね。」
 「…なっ、ど、どうしてそんなことを。」
 「クラウド、ティファのこと大切だって言ってた。お姉ちゃんもそうだって。」
 「…わたしだってそうよ。当たり前じゃない。クラウドもエアリスも、とても大切なお友達よ。ふたりが帰ってきてくれたら、こんな嬉しいことはないわ。」


 ティファは、こぼれそうになる涙をこらえて、マリンに答える。
 そして優しく彼女の髪を撫でながら微笑んだ。


 「マリンも父さんも、とっても大切よ。」
 「うん。マリンもティファのこと大好きだよ。」
 「さぁ、もう遅いから今夜はお休みなさい。明日はちゃんと父さんと仲直りしてね。」
 「うん。お休みティファ。」


 ベットにもぐると、マリンは軽い寝息をたてはじめた。

 階下に降りると、バレットはひとりで更にグラスを空けていたようだった。
 だが、先ほどのような沈んだ表情はもう見えない。
 少し照れ隠しをしているように、ティファには思えた。
 彼の横に座ると、空になったグラスを取り上げた。 


 「バレット、飲み過ぎよ。もうそのくらいにしたら。」
 「…お、おぅ。」
 「マリン、眠ったわ。明日になったら、ちゃんと謝るって。」
 「…すまねぇな。」 


 “おまえにはいつも世話になるな”と、口には出さないが、バレットは心の中でつぶやく。
 いつしかそんなティファを、誰より大切に思うようになっていた。
 マリンとは違う意味で。
 そんな密かな想いを、彼女に表す気持ちは無かったのだが。

 「ねぇ、バレット。 今の仕事が片付いたら、マリンを連れて、コレルに帰らない?」
 「…い、いきなり何を言い出すんだい。」
 「そして今度は、バレットの故郷を元通りの賑やかな町に戻すために働くの。ねぇ、そうしましょう。」 


 ティファは、立ち上がって、バレットの大きな手を取る。


 「マリンのためにもそうした方がいいわ。 いつかは帰らなきゃならないもの、本当のこと話さなきゃならないもの。それに…」


 少し恥ずかしそうに、うつむいて言う。


 「…わたしも一緒に行かせて。その時に…あなたとマリンのそばに居たいの…。」
 「・・・・・」


 バレットは、無言で、そのまともな方の大きな手でティファの艶やかな髪の頭を撫で、そっと彼女を引き寄せた。
 その逞しすぎる腕にもたれながら、ティファは心の中で、今ここにはいないふたりの友に呼びかける。


 ……やっと、 自分の行くべき道を見つけることができた。わたし幸せになってみせるわ。 だから会いに来てね、ふたりで。待ってるから、わたし達。その日が来るのを。きっと、きっと……

 お世辞にもきれいな町とは言い難いが、炭坑の町コレルはかつてのような賑わいを取り戻しつつあった。
 世界は、摩晄に代わるエネルギー源を必要としていたし、新天地をミッドガルの外に求めた人々には、 その働く場所を求めて、ここに集まってきたものも数多くいた。
 鉱山町特有のすすけた町並みだが、何故か明るい雰囲気を感じさせるのは、そこかしこに咲いている花々が、華やかな彩りを添えているせいだろうか。
 家々の窓辺に、人車が行き交う道の端に、広場わきの植え込みに、可憐に咲き誇っている花達…。
 それは、日々の激しい労働に疲れた人々の心を和ませ、子供達の明るい笑い声と共に、活気溢れるこの町の潤いのひとつとなって、すっかり回りの風景にとけ込んでいた。

 町はずれに、小さな食堂兼酒場がある。
 そこは、毎晩仕事を終えた炭坑夫やその家族達が集まって、この町で最も人気ある社交場になっていた。
 その店の主は、一風変わった夫婦者とその家族。 夫の方は、炭坑夫のリーダー格として、この町では一目置かれる存在だ。
 彼に比べ、かなり若い妻の方は、明るく可愛いしっかり者として、この店の運営を切り盛りしており、 彼女の手による料理も酒も、評判は上々で、町一番の人気者となっていた。
 端からは、どう見てもアンバランスな彼ら夫婦なのだが、家族の仲は極めて良いらしい。
 特に夫の方が、年若い妻を、そして劣らず可愛い一人娘を…家族をとても大事にしている様子が、端からも見て取れた。
 見かけは、決して善良そうには見えないが、その実けっこう人情家で、面倒見の良い旦那に、 美人で明るく…その上プロポーションも抜群な、バイタリティ溢れる若い奥さん。
 そして、彼女と共にこの店のアイドルとなっているのは、年齢の割にしっかり者の、愛くるしく可愛い娘。
 この店に、今日も数多くの常連客が訪れるのは、料理や酒の美味さばかりが理由ではないらしい。

 裏口から、大きな酒樽を抱えた、この店の女主人が出てきた。
 その豊満すぎる胸の上半身には、ざっくりとした木綿のシャツをまとい、 ピッタリとしたジーンズを身につけた姿は、まだ若い彼女を、さらに溌剌としたイメージに感じさせる。


 コレルの町は、北東に炭坑のあるコレル山を擁し、西に向かって開いた谷間の麓に位置している。
 町のはずれにあるこの店は、裏手が緩やかな斜面になっており、そこからは谷間の先に西に向かって、遙かな大平原が広がっていた。
 日当たりの良いその斜面は、ちょっとした花畑になっており、植えられた花は、今を盛りに咲き誇っていた。
 町のあちこちで見られる花々は、みんなここから分けられていったものらしい。
 それは、紛れもなく、かつて全世界の中心として君臨していた摩晄都市、荒れた廃墟の片隅に、静かに咲いていた花達の末裔に違いなかった。

 「…ふぅ。」


 空になった樽を端に置くと、店の女主人…ティファは、満足そうにその花畑を見渡す。
 花の手入れは、主に娘のマリンがしているが、彼女もよく手を貸してやっていた。
 時には父親のバレットが、大きな鋤で下土を鋤いたり、花にやる水くみをかって出たりしていた。
 荒れた土地に見事に根を張って、美しく咲き誇る花々をみる度に、彼らは思い出すのだった。
 あの薄暗い摩晄都市スラムの教会跡で、奇跡のように、この花を守り育てていた女性のことを。
 咲く花にも劣らない、明るく美しいその笑顔を。
 彼女を求めて旅立っていった、金髪の青年のことを。
 …大切なふたりの友のことを…。  

 折しも夕刻。
 西に開けた平原には、壮大な落日が、地平線にかかろうとしていた。
 黄金色にががやく草の大海原。穏やかな空には、茜色に染まった雲が、ゆっくりと西の方向に流れていく。
 日の光に染め上げられた大地の縁と、空との境目が無くなってしまったように、ひとつになり溶けあって輝いていた。


 「…きれい。」


 飽きるほど見慣れていたはずなのに、ティファは、いつになく深い感慨をもって、その光景を眺めていた。


 ふと、その時…


 …見えたような気がした。
 光りの中に。
 懐かしいふたりの姿が。
 …聞こえたような気がした。
 風のそよぎの中に。
 懐かしいふたりの声が。  


 …そして、ゆっくりと彼女は、確信する。


 …そう。出合うことが出来たのね、あなた達。今一緒にいるのね…。


 しばらくその場所に佇み、その空と大地の光景から目が離せず、…静かに彼女は涙を流していた。

 「ねぇ、母さーん。どこぉ? 父さんが呼んでるの。」 


 家の中から、彼女を呼ぶ声が聞こえる。
 太陽は、もうすっかり大地の中に姿を消し、空も茜色からすみれ色と変わっていき、雲の間からは星が瞬きだしていた。
 溶けあっていた空と大地は、今は薄闇の中にひとつとなりしずんでいった。


 …わたし達は、幸せに暮らしているわ。たくましく生きているわ。 あなた達が愛した、この花のように。あなた達が守った、この大地の上で。この空の下で…。

 「はぁーい、マリン。今いくわ。」


 ティファは、娘の呼ぶ声に答えると、もう一度振り返り、闇の中に沈んでしまった空と大地に向かって呼びかける。


 …私たち待ってるわ、ここで。あなた達が会いに来てくれるのを。それはもう、そんな先の事じゃないわね。


 そしてティファは、前を向くと、彼女を待つ家族のいる家の中へと入っていった。





 初出 2000.5月 もももんがさま 





あとがき
**まにまに文庫** **石鹸工場**