何かに呼ばれたような気がして、目が覚めた。
それが何か、上手く言葉には出来ない。
遠く、近く、自分に語りかけて来るそれは、声というよりも頭の中でダイレクトに響く感覚であり。
決して不快ではない。が、安らぎを覚える、というのとも違う。
あらゆる感情を凌駕した何か・・・、それが自分を呼んでいた。
まどろみから醒めやらない上半身を緩慢に起こし、クラウドは自らの金糸を軽く掻き揚げる。
危険を感じた訳でも、自然に、でもない、こんな唐突な目覚め方は初めてだ。
―――何だってんだ、一体・・・
闇に慣れない視界が、少々もどかしい。ぎゅっと強く、蒼い瞳を閉ざす。
それから大きく息を吐き出しから、再びその双眸を開けてから、改めて辺りを見回した。
暗闇の中、真っ先に瞳に飛び込んできたのは、微かに光る紅い色。
凝らして見ると、それが昨晩魔物避けの為に焚いた、焚き火の残滓だと解る。
それをグルリと囲むようにして、仲間達はめいめいの姿勢で眠りについていた。
長旅に疲れた彼等の寝顔はどれもとても穏やかで、紅い光は暖かな陰影を彩らせていた。
鋭く、そして冷たい、永遠に溶ける事無い氷の眼差しを持った蒼い瞳でさえ、微かに和んでしまう、
そんなささやかで平穏な情景―――
触発されたのだろうか、ふと心に思い浮かんだのは・・・
何気なく・・・否、意識して何気なさを装いつつ、クラウドは自らの左隣に瞳を移す。
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「・・・・・・エアリス?」 |
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瞬時に、クラウドの瞳から、暖かな色が退いていく。
(・・・・・・いない・・・・・・?)
自分の左隣で横になっているはずの彼女の姿はなく、
ただ、無数の皺が刻み込まれた毛布のみが、ポツンと大地の上に残されていた。
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(どこへ行った?) |
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こういう事は、珍しくはなかった。
野営をする際、エアリスは思いついたようにふらっと散歩に出掛けることがあった。
彼女と旅を始めたばかりの頃・・・ミッドガルを出たばかりの当初は、これ以上。
常に仲間達の一歩先を行き、はしゃぎ廻っていた位だった。
その姿は、見知らぬ土地への好奇心に心を弾ます無邪気な子供そのもので。
そんなエアリスを見、呆れともつかない溜息を洩らす度、
だが、クラウドはこうも思っていた。
無理も無い、と。
彼女は、自分の目の前に広がる全てのモノに魅了されていたのだ。
時と共に、移ろい行く空の様相。
輝く生命の賛歌を歌う、草花・生き物達。
初めて見る風景。
初めて感じる自然の息吹。
碧の瞳を輝かせながら、無垢なる眼差しで、彼女はそれらに魅入っていた。
空のない、花の育たない、死の大地で花を、『生』を懸命に育んできたエアリス。
自然の強さと美しさを、おそらく誰よりも理解していただろう彼女にとっては、殊更。
生の強さを目にすることができたのが、何よりも嬉しかったのだろう。
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しかし、その一方でエアリスの行動は、クラウドからすれば、非常に危なっかしいものだった。
純粋で、透明で、暖かくて、ふわふわしていて、・・・・・・突拍子が無い。
その性格同様、彼女の行動はいつもクラウドを奔走させる。
「大丈夫だよ」、と愛らしい微笑みさえ浮かべ、
危険な場所にも全く恐れずに踏み込んでいく勇敢さ(無謀さ?)にも、頭を抱えたくなる。
クラウドにも解っている。
エアリスは、見せ掛けよりもずっと強い女性であることに。
実際、マテリアを扱わせれば、彼女の右に出る者はそういないであろう。
その点から言えば、クラウド以上かもしれない。
つきっきりで護ってやらなければならない、そんな必要など彼女にはないと解っている。
だが、華奢で可憐なその姿が。
その瞳が。
その笑顔が。
自分の隣に無いと、妙に心が騒いで・・・
どうしても、放ってはおけない。
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(例の『冒険』か・・・?)
主のない毛布に手を添えてみると、まだ仄かに温かい。
ここから離れてから、幾分も経っていないだろう。
―――ちょっとした、冒険。
無邪気ながらも、どこかしら艶然とした笑顔で、エアリスは評していた。
「一人で行くのは、やめろ」、何度諌めようと思ったことか。
しかし、もし「何故?」と聞かれてしまったら、答えに詰まるしかない。
エアリスを放っておけない理由―――
そのどれもが曖昧で、もやもやしていて、ハッキリ掴んでいるものがないからだ。
だが、何よりも・・・
『冒険』から帰って来た途端、クラウドを引っ張るように連れだし、野に咲く花を嬉しそうに見せるエアリスが。
ハッと息を飲んでしまうような綺麗な笑顔を見てしまうと・・・・・・
認めざるを得ない。
自分は、エアリスの笑顔に弱いのだ。
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(そう遠くには行ってないだろうが・・・・・・) |
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しばらく待っていれば、エアリスは必ず戻ってくるだろう。
だけれども。
やはり、気になる。
クラウドは、仲間に気付かれないよう音を立てずに立ちあがり、辺りを見回した。
エアリスの行き先――普段なら見当もつかないはずなのに、何故だかクラウドは感じていた。
この先に、エアリスがいる。
迷うこと無く、彼はゆっくりと歩を進める。
木々の隙間から柔らかく降り注ぐ、木漏れ日よりも淡い光―――
ふと、空を見上げてみて、初めて気がついた。
彼の頭上で輝いている、蒼白なる満月に。
ここは空気が澄んでいるのだろう。
月の光は朧げながらも凛とした輝きで、大地を包み込んでいる。
幻想的な光を眩しそうに見詰めながら、クラウドは更に歩き出す。
まるで月に誘われるように。
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何時の間にかに森を抜け、一面に草花が生い茂った野原に出ていた。
遮るものが無くなった空で、ささやかな主張をする月は、ただただ美しく。
きっとエアリスもこの月を見上げているのだろう、そう思いかけ、はたと立ち止まる。
視線の先にクラウドは、野原の上に座りこんでいるエアリスを見つけた。
後姿の彼女は、やはりクラウドと同じように見事な満月を見詰めていた。
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エアリスは悪戯っぽい笑顔で応える。
彼女の隣へ近づきながら、クラウドは半ば呆れたように溜息をついた。
いくら野営出来る場所とはいえ、一人で呑気に『お月見』できる程、ここは安全なところでは無い。
解っていない。エアリスは。
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「あまりフラフラ出歩くなよ」
特に、夜は。
思わず口に出してしまうと、エアリスは少し嬉しそうに顔を綻ばせる。
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「心配して、来てくれたんだ?クラウド」 |
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潤んだような輝きで見上げてくる碧の瞳。
魔晄を浴びた人間――ソルジャーの目には独特の不思議な輝きが燈されるが、クラウドにとっては自身の瞳よりも、よほどエアリスのそれの方が不思議な輝きを持っていると、常々思う。
穏やかで優しくて・・・だが、見詰めていると落ち着かなくなる。
出来るならずっと見詰めていたい思いと、すぐにでも逸らしてしまいたい思い。
結局軍配が上がったのは、後者だったらしい。
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「・・・まあな」 |
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不自然に顔を背けながら、小さく呟いた。 |
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「ありがと。 ゴメンね、心配させちゃって」 |
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柔らかく微笑むエアリスの瞳に、クラウドは思わず魅入ってしまい、慌てて瞳を逸らす。
何故だか、全て見透かされてしまいそうで、きまりが悪かった。
出会った時からそうだった。
彼女は、透き通った碧色の瞳でまっすぐ自分を見詰めていた。
何も偽らない、何も隠さない、強い意志を秘めた瞳。
何かを信じている瞳。
クラウドを困惑させるのは、エアリスのこの瞳なのだ。
その事を。・・・何もかも。
彼女は全て知っているのだろうか・・・・・・?
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「座らない?」 |
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「ああ」 |
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エアリスの隣に腰を下ろすと、ふんわりと甘い花の香りがした。
心地良い、エアリスの香り。 |
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「綺麗な月だね」 |
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エアリスは眩しそうに目を細め、柔らかな笑顔で空を仰いだ。
クラウドは、チラリと隣にいるエアリスを眺めた。
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「・・・・・・ああ」 |
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蒼白い月明かりに照らされたエアリスの横顔は、比類の無い美しさを放っていた。
幻想的で儚い月の光、そのままに。
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「・・・・・・綺麗だな・・・・・・」 |
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満月から照らされる蒼い光。
じっと見詰めていると、不思議な気持ちが湧き上がる。
まるで、自分の存在が希薄になっていくような、このまま月に吸い込まれてしまいそうな浮遊感。
しかし、目を離す事は出来ない。
言葉をなくしてしまったかのように、それからしばらく二人は夜空の月を眺め続けた。 |
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「ねえ、クラウド、知ってる? 月にまつわるお伽噺」
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思いがけない優しい声が、クラウドの意識を呼び戻す。
突然、沈黙を破ったエアリスを、クラウドは見詰め返した。
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「どんな?」 |
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「月に恋した娘の話」 |
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「・・・聞いた事も無い」 |
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捕らえようでは実も蓋もないクラウドの言葉に、エアリスはクスクス笑った。
一息つくと、エアリスは、とっておきの宝物を見せようとしている子供のような表情で、クラウドの顔を覗き込む。
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「聞きたい?」 |
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エアリスの表情があまりにも幼く微笑ましいものであったので、クラウドは思わず苦笑を浮かべた。
なんとなく嬉しい気分だった。
いくらエアリスが無邪気な面を多々持っているとはいえ、自分よりも一つ歳上だ、という事実。
時々・・・・・・。
ほんの時々ではあるが、ふとした彼女の言動に。仕草に、表情に。
追いつきたくても追いつけない何かを感じていた。
だからこそ、こんな彼女の表情を見ると、クラウドはホッとせずにいられなかった。 |
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「ああ、聞きたい」 |
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「よろしい」 |
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エアリスは満足げに微笑むと、再び蒼い満月に目を向ける。
すうっと息を吸い込んで。
一言一言噛み締めるように、エアリスは語りだした。
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