美輪明宏公演 『毛皮のマリ−』
     2001.3〜6
 毛皮のマリーは、寺山修司氏原作のお話です。公演は3〜6月でもう終了しています、念のため。
 今回は主演の美輪明宏氏はもちろん、欣也役に及川光博さんが出演されるという事で大変楽しみにしていました。
 美輪さんは、皆さんご存知の通り、ああいうヴィジュアルの方ですから、誤解されていると思うのですが、大変素晴らしい人です。少なくとも私は尊敬しています。
 実はかなり前から、美輪さんのお芝居には関心があったのですが、中々見る事が出来ずにいました。ようやく初めて見たのが「葵上・卒塔婆小町」。これはかなり衝撃を受けました。そして思いました。何でもっと早く見に行かなかったのか、と。新たな楽しみを発見したと同時に、今までこんな素晴らしいものを知らずにいた自分に腹が立ちました。その後は、毎年欠かさず拝見しています。
 美輪さんは演技もさることながら、常日頃仰る事も、なるほどもっともだと思わせるものばかり……。氏の仰る事を聞いていると、自分はなんてつまらない人間なのかと居たたまれなくなります。そのため、日々精進しているのですが……
 本もいろいろ出版されていますので、機会があったら読んでみてはいかがでしょうか?
 さて、毛皮のマリーに話は戻りますが、これは今まで見たお芝居とはかなり違っていました。これがいわゆる寺山作品なのでしょうか。
 大変内容が難しい、私自身まだうまく理解できていないかもしれません。人によって解釈はそれぞれですから、私なりの感想を述べさせて頂きます。
 マリーは男娼であり、昔その事で恥をかかされた女に復讐をし、その女の産んだ子供(これがミッチー演じる美少年・欣也)を引き取り、わが子として育てています。
 全ての方にお勧めしたい作品です。
 欣也はマリーの過剰な愛により、閉じられた世界で生きている訳ですが、そこへ、美少女・紋白がやってきます。外の世界へ出ましょう、と。そして、先の話を偶然に聞いてしまった欣也は、ついにマリーの元を出て行ってしまいます。しかし、外の世界は欣也にとって大変辛いもので、結局はマリーの元へ戻るといったお話です。まぁ、実際にはもっといろいろ複雑にからみ合っている訳ですが……
 マリーと欣也、2人には血のつながりはありませんが、並の親子以上に親子らしいです。そして双方共に、互いに愛情を持っていると思います。マリーは事あるごとにお母さんとお呼びと言います。これは少なからず牽制の意味があるのではないでしょうか。欣也にしても、そうする事で踏み止まっているような。子供の頃から可愛がり、それが高じて過剰保護、家から一歩も外に出させたくないとまで思い詰めているのですから。
 そして欣也に近寄る美少女・紋白。私はこの紋白、欣也が造り出したまぼろしではないかと思いました。母であるマリーの言う事は聞かなければいけないが、それでもやっぱり、外への好奇心は多少なりと心の中に燻っている…外に出て、マリーと対等になりたかったのかもしれません。そんなモヤモヤが具現化したものが紋白となって現れたのではないかと。
 飛び出して行った欣也は最終的にはマリーの元へ帰ってくるのですが、これはやはり、マリーの愛、呪縛の力から逃れられなかったのではないでしょうか。自分の中に、まだマリーを愛する気持があったから。私はそのように感じました。
 マリーの台詞で「女を演じるのだけが変だなんておかしい」というのがあります。そう言われればそうです。人は何かしら演じて生きている、自然のままの人なんて何処にもいません。何かしら演じていなければ、世の中上手く生きていけません。
 そして、マリーはこうも言います「人生は、どうせ一幕のお芝居なんだから」
 だから自分の一番好きな役を演じるのですね。そればマリーにとっては男娼であり、欣也の母である訳です。
 欣也は最後泣いていました。その涙は、マリーの元に戻って来れた安堵の涙だったのでしょうか、それとも心ならずも戻ってしまった悔恨の涙だったのでしょうか。
余談
 ベイベーである私は、ミッチーが美輪さんのお芝居に出ると聞いて、小躍りしました。
 美輪さんとミッチー、大好きなお二方の共演だなんて、もう考えるだけでワクワクもんでした。
 舞台上のミッチーは完璧にお坊っちゃんの欣也でした。純粋無垢でとっても可愛かったです。
 上演後はもちろんスタンディングオベーション、かなり長い事拍手の嵐でした。
 「年齢からいって、これが最後の「マリー」になるかもしれない」と美輪さんは仰っています。そ、そんな……まだ見たいお芝居が沢山あるのに……。いいえ、まだまだ大丈夫、これからも素晴らしいお芝居を見せてほしいです。
2001.8 くるくる




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